「グレート・ギャッツビー」

Which characters do you choose?

グレート・ギャッツビー」・・・フィッツジェラルド作

 これは、何回も触れないと面白さが分からない。まさに「噛めば噛むほど上手い堅揚げポテト」のような作品だった。この作品を読む前に、まんがで読破版を数度読み込むことをお勧めします。
 そしてこれは「どの人物目線で読むか」で雰囲気ががらりと変わる、今まで読んだ小説の中で一番不思議な作品でした。

 私は今回は無難に語り手目線で読み解きました。

 

 語り手ニックは、自分の感情をあまり表に出さない性格のため、やたらと人に絡まれ、聞きたくもないような中身のない噂話を聞かされてうんざりしている。その原因は冒頭で語られるニックの父親の教訓「人のことをあれこれ言いたくなったら、ちょっと考えてみるがよい。この世の中、みんなが恵まれているわけじゃなかろう」である。人は生まれつき差があることをありのままに受け入れたため、批判や他人をあざ笑うことは心の中でしかできなくなった(会話部分以外では批判の嵐だから)。その結果、自然と聞き上手になってしまい、どんなにつまらなそうな顔とかして人を突っぱねようにも、ニックは人々から「自分の心の鬱憤のはけ口」のような役割付けもされているため人の闇を共有する羽目になる。

 人の闇は沢山抱えているが、自分の心の鬱憤・退屈さを紛らわす道具を持ち合わせておらず辟易としているニックの前に突如、ギャッツビーが現れる。そして彼に惹かれる。しかし同時に「ギャッツビーこそ、私がつくづく嫌気のさしたものの代表格である」と嫌っているのだ。確かにギャッツビーはニックに自分の過去を無理矢理教え込んだ。そして女と富を求めるデカダンスな生活もしていたことから、ニックが嫌うのは必然的だ。

 

 では、何故ニックはギャッツビーに惹かれギャッツビーについて語ったのか?

 

 私は「ニックとギャッツビーには『孤独』という共通点があったから」と考える。ニックには形式上の友達はいるが、親友と呼べるのはいない。そしてギャッツビーはデイジーという不遇な出来事で別な男に奪われた彼女を取り戻すためにパーティを開いている。彼はあくまでパーティを目的達成のために行っているから実質の友達は少ない。このことは、パーティーのシーンでいろんな噂が飛んでいるところやラストの墓のシーンからわかる。つまりお互い孤独を持ち合わせていたのだ。

 さらに、ギャッツビーはデイジーという女性と再び結婚して固い絆を形成しようとしていた。つまりニックにとってギャッツビーは自分の希望を魅せてくれるいわば「あこがれ」だったのだ。

 こう考えるとギャッツビーの死後、ニックが東部へと帰るのも説明が付く。あこがれの喪失。なるほど、「グレート・ギャッツビー」といえば「アメリカンドリームの崩壊」とよく言われる理由とはこれか!ということに気づかされる。

 そして、ラストの「あすはもっと速く走ればよい・・・流れに逆らう舟である」とは、「あこがれが消失しようとも俺は頑張るぜ!」というニックの決意であるのだと気づかされた。

 いやー深いね。きっとギャッツビー目線でもデイジー目線でも雰囲気的にテーマが「アメリカンドリームの崩壊」に繋がるから面白い。また読んでみたい作品でした。